2012-06-10から1日間の記事一覧
1281年5月21日、東路軍は対馬に上陸します。日本軍は寡兵ながらも激しく抵抗し少なからぬ被害が出ました。 5月26日、東路軍壱岐に到着。暴風雨に遭遇し兵士113人、水夫36人の行方不明者を出します。今回の遠征の末路を想像させる出だしでした。 壱岐で合流…
日本建国以来の国難、文永の役は終わりました。鎌倉幕府はなんとか元軍の侵略を撃退できたことより、たやすく博多上陸を許した事の方が衝撃でした。 そこで鎮西に所領を持つ御家人に対して、その領地の広さに応じて田一反に一寸、一町に一尺という割合で石…
1274年(文永11年)10月5日午後、対馬の住民は佐須浦(現在の小茂田海岸)沖に、海を埋め尽くす夥しい数の軍船を見ます。 急報は対馬守護代宗助国(守護は少弐氏)のもとへ告げられました。助国は八十余騎を率いて現場に駆けつけます。最初助国は通訳の真継…